葛飾北斎を知る
葛飾北斎は1760年、江戸・本所深川に生まれました。6歳から絵を描き始め、生涯で3万点以上の絵を描いたと言われる万能の絵師です。冨嶽を代表とする浮世絵ばかりでなく、肉筆画やデッサンなど、あらゆる絵を描きました。ここでは、北斎をより深く知るための3つの入口をご用意しました。
(明治期の復刻/小林文七 蔵版)
北斎ファンなら知っておきたい7つの話
北斎をもっと面白く知るための、7つのお話をご紹介します。
エドモンド・ド・ゴンクールは、彼の著書『北斎覚書』の中で、北斎について書き記しています。困った話ですが、これは事実です。ゴンクールは19世紀のパリで、北斎の肉筆画を林忠正から購入し、手元に置いていました。後に「パリの印象派」と呼ばれる画家たちは、一人残らず北斎に傾倒していったのです。フランスの美術専門誌『Taschen』は〝現代絵画の父は北斎だ〟と断定しています。ゴンクールに「日本人は海外における北斎の評価を知らない」と言われるのは、残念なことですね。今ではパスポートに〈冨嶽四十六景〉が採用され、1000円札も〈神奈川沖浪裏〉になりました。今からでも遅くはありません。これから、ご一緒に北斎を勉強していきましょう。
18世紀の末から19世紀のパリは、フランス革命があり、産業革命があり、ナポレオンと各国との戦争があり、大変な時代でした。北斎は印象派のおかげで広く知られましたが、それは北斎を評価したパリの画家たち——マネ、ドガ、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレーたちの才能が計り知れなかったからかもしれません。詩人のマラルメ、ボードレール、作家のゾラ、のちに作曲家のドビュッシー、彫刻家のロダン。そこにゴーギャン、ゴッホ、ロートレックも加わり、芸術の流れを大きく変えました。これが〈ジャポニスム〉の誕生です。パリの印象派のおかげで、北斎は広く世界へとはばたきました。
東インド会社の軍医として日本に来たシーボルト(1796〜1866)は、外科医で植物学者でした。しかも、ドイツが送り込んだスパイだとも言われています。江戸時代の末期、幕末の頃に日本へやってきたシーボルトは、日本の国情を調べ、植物を採集し、地理を調べながら、日本に西洋医学を教えました。日本の地図を持ち出そうとして逮捕され、国外追放となりました。これが「シーボルト事件」です。日本人妻のお滝との間に生まれたおイネは、後に日本人初の女医となり、幕末に活躍した多くの青年活動家と交流がありました。シーボルトと北斎に深い交流があったことは、あまり知られていません。シーボルトは実は、日本の文化や植物を『日本(NIPPON)』という本にまとめ、海外へ伝えた功労者なのです。
北斎は、江戸時代の常人では考えられないくらい変わった人です。93回も引っ越しをして、居所を変えています。普通ではないですね。画号も22も持っています。名前を変え、住所を変えてしまうと、人は訪ねることができず、絵師への注文も途絶えます。北斎はあえて住所を変え、名前を変えているとしか思えません。江戸の人別帳には、北斎は「住所不定」と書かれていたようです。この時代、百万都市であった江戸の住人で、住所不定と書かれていたのは北斎ただ一人だと記されています。これらのことが、北斎の隠密説の理由の一つにもなっているようです。
『北斎漫画』は、北斎が40歳代から描き続けた、彼の絵日記のようなものです。ヨーロッパでは「北斎スケッチ」とも「北斎デッサン」とも呼ばれたようです。『北斎漫画』は10巻までシーボルトが買って帰り、パリの印象派の画家たちの教本・教材にもなりました。「ジャポニスム」の引き金になった本としても有名です。この中には、江戸の庶民の風俗・生活、子供達への和算の勉強、絵の手本、動植物、魚類、歴史、文化など、多岐にわたる百科事典として寺子屋の教本の役目もあり、文化文政の時代に1万5千軒ほどあった寺子屋の教本として利用されました。
版画は、絵師が絵を描き、彫師がそれをもとに彫り上げ、摺師が色を付けるという分業で仕上げるのが一般的です。北斎は他の絵師とは違い、彫りも摺りもできたため、彼が浮世絵制作の現場に行くと、職人がとても緊張したと言われています。版木一枚で200〜300枚は摺ったようです。人気のある絵は摺りなおすたびに多くの職人が関わるので、同じ作品の富士の色一つとってみても、びっくりするほど色が違います。これが、一枚の版木から数百枚を摺る浮世絵版画の宿命です。
国際北斎学会は、北斎が出したかった色を次世代に伝え残したいと考え、「冨嶽三十六景」のうち〈三役〉と呼ばれる「神奈川沖浪裏」「山下白雨」「凱風快晴」について、北斎が本当に出したかった色を特定しました。この度、浮世絵版画の高橋工房、世界の美術館の軸・屏風の修復を手掛けるマスミ東京と組んで、冨嶽の代表作〈三役〉を監修し、歴史上初めて軸装として完成させました。



肉筆画とは、注文者がいて「描いて欲しい」と頼まれてから描く絵はもちろん、自分が描きたいモチーフや、関連する似たモチーフを何枚も描くなど、さまざまです。もちろん一枚だけしかない場合も多く、テーマで追っていくもの、下絵を含めて何枚か同じような構図の絵もあります。ですが浮世絵版画とは違い、現在存在が確認されている肉筆画の数は多くはありません。北斎の場合は、描いている絵の筆致が年代によって全く雰囲気が変わることも多いのです。今現在でも、まだ見たこともない貴重な肉筆画がどれくらい存在するのかを確定できません。さて、これから私たちが北斎のどんな肉筆画と出会うことができるのか、ワクワクしますね。




北斎とヨーロッパと印象派
北斎は、19世紀のヨーロッパ美術に決定的な影響を与えました。マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン——印象派・ポスト印象派の巨匠たちは、こぞって北斎をはじめとする日本美術に魅了され、〈ジャポニスム〉という大きな潮流を生み出しました。このセクションでは、北斎とヨーロッパ、そして印象派との深い関わりを、国際北斎プロジェクトの資料をもとに詳しくご紹介していきます。
本セクションの詳細コンテンツは「北斎プロジェクト」資料をもとに制作中です。
準備が整い次第、順次公開いたします。
北斎のエピソード
ここでは、北斎本人を紹介するコンテンツをまとめています。生涯93回の引っ越し、たびたびの改名、約3万点という膨大な作品数——常識を超えた逸話の数々から、型破りな天才絵師・北斎の素顔に迫ります。
(画号は20余り)
(1760–1849)
動画「北斎の風 奇跡の風」
学会資料からの抜粋
国際北斎学会の資料から、北斎の逸話やエピソードを抜粋してご紹介していきます。
※ 詳細は準備中です。学会資料の整理が整い次第、順次追加いたします。